折々の言葉

誰も指摘しないことですが、彼らがこうした舞台に行き場を求めていった背景には、戦後のレッドパージの影響があったと僕は見ています。
 五木寛之朝日新聞20160817)

 (テレビ、ラジオ、サブカルチャーに行った、永六輔大橋巨泉青島幸男唐十郎寺山修司、日活ロマンポルノなんかも)
 (そういう三木鶏郎「冗談工房」の血脈の中で、野坂昭如井上ひさしは雑業の中で志を得なかった。)  
 (サブカルチャーは、本来はメインカルチャーに対する異議申し立てだった。その担い手たちの根本には、敗戦体験と左翼運動の挫折があった。彼らの仕事は、そういう広い日本の戦後思想史の中で語らえるべきです。)