2016-09-06 折々の言葉 誰も指摘しないことですが、彼らがこうした舞台に行き場を求めていった背景には、戦後のレッドパージの影響があったと僕は見ています。 五木寛之(朝日新聞20160817) (テレビ、ラジオ、サブカルチャーに行った、永六輔、大橋巨泉、青島幸男、唐十郎、寺山修司、日活ロマンポルノなんかも) (そういう三木鶏郎「冗談工房」の血脈の中で、野坂昭如、井上ひさしは雑業の中で志を得なかった。) (サブカルチャーは、本来はメインカルチャーに対する異議申し立てだった。その担い手たちの根本には、敗戦体験と左翼運動の挫折があった。彼らの仕事は、そういう広い日本の戦後思想史の中で語らえるべきです。)