地域間格差拡大論のウソ

格差縮小を示すマクロ指標はなぜ無視されるのか?
2007年8月7日 火曜日 竹中 正治
<抜粋>
ほとんどの日本人は「地域間の経済格差が近年拡大している」というイメージを持っている。意見が分かれるのは、「経済成長のためにはある程度の格差拡大はやむを得ない」と考えるか、「格差拡大は避けるべきだ」と考えるかの点だ。しかし、そもそも地域間の経済格差拡大は事実なのだろうか。実はマクロの統計データが示す結果は、地域間格差の拡大を否定している。
内閣府が作成・公表している国民経済計算(SNA)統計に「県民経済計算」があり、47都道府県別の「県内総生産」や「県民所得」を知ることができる。直近で発表されているのは2004年度までである。
 この統計で、1人当たり県民所得(名目平均値)の変化を見ると、東京都の2004年の1人当たり平均所得は1996年比で6.5%増、90年比では10.1%増となっている。一方、2004年の北海道(平均1人当たり所得で下から17番目)の1人当たり平均所得は1996年比9.3%減、90年比でも5.2%増にとどまる。県別デフレータで調整した実質値の変化を見ても趨勢は変わらない。
 地域間格差拡大の批判論者は、「これこそが地域間拡大の証拠だ」と思うだろう。しかし、47都道府県の中から東京都と北海道だけ比較して所得格差が拡大しても47都道府県全体で格差が拡大していることにはならない。他の地域間で格差が縮小していることもあるからだ。こういう場合、「ジニ係数」という概念で全体の格差度合いを計測するのが定石である。
 例えば100人の所得格差の度合いを計測するためには、所得の少ない順に並べ、最下位の1人の所得、下から2人の所得合計、下から3人の所得合計、そして最後に100人の所得合計という具合に、グラフ上に左から右へ並べる(グラフの垂直軸が所得である)。
 100人の所得合計が1億円なら、全ての成員の所得が100万円で均等の場合、グラフは右上がりの直線となる。これが完全平等状態であり、この直線を「均等分配線」と呼ぶ。一方、1人の人間が1億円の所得を独占し、ほかの99人が所得ゼロなら、究極の不平等状態であり、グラフは逆L字型となる。
 通常は両者の中間の状態であり、グラフのような曲線(ローレンツ曲線と呼ぶ)が描かれる。この曲線と均等分配線の直線で囲まれた三日月型の面積の直角三角形全体の面積に対する比率がジニ係数であり、ジニ係数がゼロに近いほど格差は小さい(=平等に近い)ことを意味する。反対に、三日月型の面積が三角形の面積と同じ(つまりジニ係数が1)に近いほど格差の度合いは大きいことになる。
長期的に地域間格差は是正されている
 さて、各都道府県の1人当たり県民所得(名目)のジニ係数を1990年、96年、2004年で計測すると表の通りである。2004年のジニ係数が1990年に比べてわずかながら下がっている、つまり格差が縮小していることが分かるだろう。1996年から2004年への変化は、ほぼ横ばいである。
 合わせて国内総生産の県別版である「県内総生産」を県民人口で割った「1人当たり県民総生産」のジニ係数も下段に示した。これによると、1990年、96年、2004年とジニ係数は連続してわずかながらも低下している。県民経済計算統計を見る限り、地域間経済格差は広がるどころか、わずかながら縮小しているのだ。
 この点、内閣府の「年次経済財政報告(平成16年度)」も次のように指摘している。「長期的に見れば1人当たり所得で見た地域間の経済格差は是正される方向にある。1990年代以降を見ると、ほとんどの地域で1人当たり県民所得の全国平均からの乖離度が縮小してきている」。
 では、県民経済計算が正しいとするならば、なぜ地域間経済格差の拡大といった、マクロ的事実に反する言説が広まるのだろうか。以下のような3つの理由が考えられる。
(1)損をしている人は騒ぎ、得をしている人は騒がない
 「地方の小都市では、景気回復が波及せずに“シャッター商店街”が見られる」という言い方が嘘であるわけではない。しかしその一方で、地方でも郊外には巨大ショッピングモールがオープンし、客でにぎわうような事実も同時に存在する。
 また、90年代の地方公共工事の大盤振る舞いで潤った地方の土木建築業者らは、小泉政権による公共事業の縮小で収益機会を削減されている。こうした人々は地元の政治家に苦境を訴え、地方の政治家は中央に陳情する。損をしている人々の声は社会全体の状態を公平に反映してはいないが、政治的な拡声器で増幅され、私たちの耳に入るのだ。
 円高になると輸出企業は採算が悪化して「円高で大変だ」と叫ぶが、円高で得をする輸入企業や消費者は黙っている。その結果、「円高になると大変だ」という認識の歪み(バイアス)が日本社会に生じるのと同じことだ。
(2)近年の不動産価格の動向の両極化の影響
 県民経済計算が示しているのは、「総生産」「所得」という創出された経済的価値のフローと分配を示したものである。一方、不動産価格は毎年の公示地価や路線価の動向が示すように大都市中心部は近年、回復・上昇傾向に転じたが、地方では下落傾向が止まらず、価格格差が広がった。バブル崩壊後の90年代には大都市圏の地価ほど大きく反落した。
 したがって長期で見ると大都市部と地方の地価上昇の格差は思うほど大きくないかもしれない。しかし人間は直近の過去の変化に反応する動物なので、近年の地価動向格差が、人々の感じる「経済格差感」の一因になっている可能性がある。
(3)政治的駆け引きが地域間格差拡大の主張を増幅
 小泉政権での三位一体の改革により、地方交付税の削減と地方への税源移譲をめぐる地方と中央の政治的な綱引きが展開されてきた。さらに、地方交付税の不交付団体である東京都と、総務省および交付団体であるほかの道府県が税源委譲分をめぐる対立を引き起こすなど、都市と地方間の対立が熾烈化する様相を見せてきた。この過程で、「地方経済は苦しい。地域間の経済格差が広がっている」という主張が地方交付税を受け取る地方自治体サイドから強く喧伝されてきた。
好景気による格差拡大と構造改革による格差拡大は違う
 誤解を避けるために言い添えると、現実は複雑であるから、地域間経済格差の実態は複数の経済統計で多面的に計測する必要がある。印象論だけで格差論を政治的に論じることの問題を指摘するために、県民経済計算統計に拠る限り、都道府県間の経済格差が日本全体で拡大している事実は見られないと私は指摘しているに過ぎない。
 より詳細な分析をするうえで注意すべき点は、地域間格差景気循環的要因と構造的・趨勢的要因を区別することだ。有効求人数や生産面のデータは好況が持続するほど地域間格差の拡大を示す傾向がある。実際、幾つかのこうした指標で見ると、バブル好景気のピークだった90年時点は現在よりもずっと地域間格差は大きかった。
 2003年以降の経済成長の持続で「地域間経済格差拡大」の兆候を示す指標もある。ただし、そうした変化が景気循環的な要因によるものならば、現在問題になっている「構造改革が格差拡大をもたらした」とは言えない。この分野の専門調査リポートですら、この点で混乱しているものがある。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20070806/131743/?P=3