メモ/産学官の研究担当者の集いから成果を生み出すには

もっと詳しく(具体的に)聞けないと、どうしようもないが、この谷田さんの経験にはヒントが含まれていそう。


「大型産学官連携プロジェクト成功のカギ
事業期間中に企業主導のシナリオをどう描く
−医・薬・工と産をつなぐ医療用次世代ナノキャリアの示唆−」

共著:木村俊作(きむら・しゅんさく)京都大学大学院工学研究科教授、京都大学医学部附属病院 探索医療センター教授、谷田清一(たにだ・せいいち)京都高度技術研究所 京都市地域結集型共同研究事業 新技術エージェント

『産学連携ジャーナル Vol.6 潤・ 2010』1月号

産学官連携の大型プロジェクトは、事業の期間中に企業が主導するシナリオを描き出せない限り、そこから新しい社会的・経済的価値の創造は期待できない―医学、薬学、工学と企業の連携で成功させた「ラクトソーム」誕生は多くの示唆を与える。

本文
京都市地域結集型共同研究事業における新しいシーズの誕生とその背景
医学と工学が連携して成し遂げた成果を振り返ると、ヒトへの侵襲性の低い装置やデバイスを開発する分野で工学系の寄与が大きく、この傾向は現在も変わらない。一方、ヒトの体内に適用する化合物や材料を開発する分野では、バイオマテリアルズと呼ばれる大きな学域が確立されたにもかかわらず、2000年近くまで工学系の寄与は大きいとは言えず、実用的材料に到達することはまれだった。1980年代に展開された人工血管の開発事業で、実用的な細い血管の開発に至らなかったのは、この典型事例と言える。
しかし、医用材料分野の工学系研究者たちは、この挫折を経験することで、ヒトに
適用される材料を開発するポイントを学び、実用化への意識が大いに啓発されたと
思う。2000年ごろになると、医工連携が米国で本格化するのに呼応して、日本でも
医工連携が叫ばれるようになった。昨今の医工連携プロジェクトを眺めると、工学
系研究者が医学系研究者から出される要望を真摯(しんし)に受け止め、これに
沿って材料開発に取り組む姿勢が感じられるが、そこにはこのような背景がある。
著者(木村)は工学研究科に属しているが、2大学の薬学部の研究室と、内科医を兼
務するがん研究者の研究室に出向いて研さんを積んだ経験がある。その傍ら、ペプ
チドホルモンに関する分子生物学的研究にも従事し、「工」でいながら「医」と
「薬」を体験することができた。これらの経験が支えとなって、2000年に京都大学
で発足した “Let’s go会”(「行こう」、「医工」の語呂合わせ)のメンバーに加わ
ることになった。この Let’s go会は医学系と工学系の研究者有志の自発的勉強会
で、この会の世話人が、やがて、京都市地域結集型共同研究事業の中核を担うこと
になる。著者もその流れから京都市のプロジェクトに加わった。ここに見られるよ
うに、プロジェクトの体制づくりは、ボトムアップ的な経緯をたどったと言え
る。異分野の研究者との個人的とも言えるつながりからボトムアップにグループが
構築され運営される場合、スピード感に欠けるところはあるが、軌道に乗ればメン
バー同士のアイデア交換、ブレーンストーミングを経て、当初に設定された目標が
ポリッシュアップされる可能性を秘めている。
●「ペプトソーム」から「ラクトソーム」へ
ここで、著者らが開発したナノキャリア「ペプトソーム」 *1が、京都市のプロジェ
クトの中でポリッシュアップされ、成長する過程を少し詳しく述べてみたい。初期
がんのイメージングを可能とするナノキャリアを開発するために、著者らは、生体
適合性を考えて両親媒性ポリペプチド *2を素材に選び、生理食塩水中で自発的にベ
シクルを形成するペプトソームを創製し、これががん組織に効率よく集積すること
を見いだした。医学研究科で担がんマウスを用いたがんのイメージング技術が確立
していたことが幸いし、この結果が得られたのはプロジェクトを開始して間もなく
のことだった。
これに注目した参画企業の研究者が、ポリペプチドポリ乳酸 *3とのブロックポリ
マー *4の合成を新たに提案した。ここでも幸いだったのは、この企業研究者が過去
に公的医療機関で医用材料の研究に従事した経験を持ち、企業にあってはポリ乳酸
開発事業に従事し、ポリ乳酸の特性を知り尽くしていたことだ。この提案を基に作
製されたミセル *5を近赤外蛍光プローブで修飾し、医学研究科に依頼して体内動態
を調べたところ、選択的にがん組織に集積する優れた性能が明らかになった。「ヒ
トへ適用できる材料」の意味を理解し共有できる企業研究者との協創が、新しい
シーズをもたらすきっかけをつくったのだ。この新しいナノキャリアには、ポリ乳
酸にちなんでラクトソームという名称が与えられた(図1)。
プロジェクトの推進に当たって忘れてならないことがもう 1つある。コーディネー
ションの過程で、現場の研究担当者が集う月例の進捗状況報告会が催されたこと
だ。詳しくは次の項に譲るが、これによってグループ内でのブレーンストーミング
のおぜん立てができ、実務者の開発意識が高揚した。この会を礎として、プロジェ
クト責任者やテーマリーダー、さらに自治体サイドと研究現場の担当者との間で双
方向の情報交換が図られたばかりでなく、参画企業の枠を超えて企業へのさまざま
な働きかけが行われた。このボトムアップ誘発型のコーディネーションが、実用化
の道筋を示す包括的な調整機能を果たしたというのが著者の印象だ。
産学官連携事業の視点から新しいシーズの誕生を振り返る
ここでは、著者(谷田)の活動を振り返ることによって、大型産学官連携事業を内
側から眺め、事業を成果に導くためのかじ取りについて考えてみたい。規模の大き
産学官連携事業に見られる共通点は、鋳型となる事業スキームにはめ込むように
計画が練られ、寄り合い所帯のアカデミアと寄せ集めの企業からなる、にわかづく
りの産学集合体が組織されることだろう。これを束ねてトップダウン型の事業運営
が志向され、カリスマ性の強いリーダーの下にヒエラルキーを築こうとするのが通
例だ。これは、欧米に倣ったものだろう。そこに、事業運営のための重厚な会議が
幾重にも設置され、それをこなすことが自治体側の主要な業務となる。
しかし、組織がにわかづくりだから、成果の社会還元を志向するベクトルを引き出
すのは並大抵ではない。総和的に力を集めることはできても、相乗的なエネルギー
に変換することは難しい。事業期間が終了した後に、新しい社会的・経済的価値の
創造に向かって自立した実用化研究が展開するという話はあまり聞かないのも、こ
の種の事業の運営の難しさを物語っていると言えるだろう。
アカデミアのシーズを育てることに主眼を置く事業スキームが奏功するか否か
は、研究領域や出口となる事業分野の特質、シーズの性格、アカデミアの気風やポ
テンシャル、地域や産業界の風土、産と学の力のバランスなどに大きく左右され
る。京都市のプロジェクトは、アカデミア色の濃いものだ。著者が新技術エージェ
ントを引き受けたのは事業開始から1年後のことだが、担当を依頼されたのがバイオ
関連の事業だったこともあって、製薬企業の研究畑を歩んできた知識や経験が、す
ぐにも役立つだろうと気楽に構えていた。しかし、これが安易に過ぎることを程な
く思い知らされた。
中間評価が控えていたために、これを乗り切ることが直近かつ最大のゴールと位置
付けられ、それへの対応に揺れていた。おそらくは大型産学官連携事業の通例とし
て、中間評価への対応に多大のエネルギーが注がれるのだろう。京都市のプロジェ
クトでは、アカデミア、参画企業、自治体それぞれの思惑がここに統合され、事業
に勢いが生まれたように見えた。しかし、事業を支える研究現場の空気は次元を異
にしているように見え、冷静とも冷淡とも受け取れたし、参画企業の側に主体的な
動きが生まれたわけでもなかった。そもそも型にはまることを嫌い、独自性、独創
性を追及するアカデミズムが鋳型に収まるはずもない。むしろ、着任早々の著者の
目にはすべてが混乱して見え、混沌(こんとん)とした状況に映った。
この時期こだわったのは、プロジェクトを支える現場の思いを把握することだっ
た。そのために、新技術エージェントの立場をはみ出すことも躊躇(ちゅう
ちょ)せず、現場主義に徹して研究担当者の集いを立ち上げた。事業の基盤となる
研究者コミュニティーの構築を目指してのことだった。この集いが機能し始めたこ
ろから、産と学、キーパーソン、小テーマのそれぞれの姿と位置関係が透けて見
え、「集い」が恒常化するにつれて、初期シナリオのせりふやト書き、振り付けの
書き換えが可能となった。その結果、平面的で並列的だった産と学の連携関係や
テーマの配置を立体化して、より機能的な体制に再編することができた。テーマ間
の自発的な連携は、ここから具体化していったように思う。参画企業の枠を超えて
パートナー企業を発掘したのが奏功して実用化の道が開け、事業の終了を待たずに
上市にこぎ着けた事例も示すことができる。
●成果の社会還元への道
著者(谷田)にとって、ラクトソームの物語は、1通のEメール(Friday, May 25,
2007 2:33 PM)の追伸にさかのぼることができる。そこには、後にラクトソームと
命名される新規ナノキャリアが担がんマウスモデルで優れた動態を示したことが
「おまけ」のように添えられていた。中間ヒアリングを終えて4カ月余り後のこと
だった。
ラクトソーム誕生の源泉をたどれば、先にも述べた研究担当者の集いに行き着くだ
ろう。月に一度の集いながら、お仕着せの会議ではなく、当事者らが対等に議論の
できる場だから、1カ月間の進捗がネガティブデータも含めて俎上(そじょう)に載
せられる。テーマリーダー、雇用研究員、大学院生、参画企業関係者らが同じ土俵
で議論し、成果知が共有される。核心を突く助言に促されて研究の方位が定めら
れ、新たな試みが実施される。交わされる情報に厚みが増すにつれて出席者相互の
連携が深まりをみせ、ボトムアップの創造的な機運が芽生え、成長するのが感じら
れた。また、人材育成にも少なからず貢献したようだった。この基盤の上に、アカ
デミアの高いポテンシャルと参画企業の持ち味が融合し、発火したのがラクトソー
ムだったと言える。前項に詳述されているように、「医」には最新の分子イメージ
ング技術があり、「工」には新しいナノキャリア技術があり、「産」には、役目を
終えて温存されていた技術の再活用への思いがあった。役者はそろっていたの
だ。混沌から自己組織化を経て創造に至るプロセスを垣間見た思いがする。
もちろんラクトソームの実用化を目指すには、新薬開発プロセスと同じ軌跡をたど
らねばならない。そのために今、医師主導の臨床研究を前提として医・薬・工と産
が連携した新たなプロジェクトが立ち上がっている。ただ、前途には、時間の
壁、開発費の壁、成功確率の壁、既成概念の壁が立ちはだかっており、それらを乗
り越える意欲と覚悟が産と学の双方に求められることは言うまでもないだろう。い
ずれにせよ、産学官連携事業の期間中に「終了後」を期待させる新しいシーズが誕
生したことは、特筆に値すると言わねばならない。
◆おわりに
アカデミアにはシーズが溢れ、それらを企業に移転しさえすれば新しい価値が生ま
れ、実用化が実現するという考え方が安易に過ぎることは大方の認めるところと
なっている。そして今、この視点に立って産学官連携の仕組みが問い直されつつあ
る。著者らの体験的結論は、事業の期間中に企業が主導するシナリオが描き出せな
い限り、産学官連携事業から新しい社会的・経済的価値の創造は期待できない、と
いうものだ。この意味でも、ラクトソームの誕生は、多くの示唆を与えてくれるだ
ろう。

注釈