いいたいことやテーマや感性は最終的には技術に集約されるのである

とり・みきの文章から
「・・・
私が聞いて喜ぶのはおもに技術的なことだ。
 具体的な撮影方法や描き方のノウハウ、そしてその道具や方法を選択した理由。
 以前マンガにも描いたことがあるが、山下洋輔さんのエッセイで、ジャズミュージシャンが出逢うとお互いの音楽の話は置いておいて、まずは「その(管楽器の)リードはどこで買っているのか」というような話から始まる、というエピソードがあった。
 マンガ家も同様に道具の話から入る。
 単に自分が描く場合の参考にしたいということもあるし、同年代の場合は多少の照れや対抗意識も作用しているのだが、さらにつきつめていけば、実は構図や描線や道具にこそ、作者の思想や作品のテーマが現れているものだからだ。
 いいたいことやテーマや感性は最終的には技術に集約されるのである。
 外国映画ソフトの監督のオーディオ・コメンタリーを聞いていて、いちばん熱心に語られるのも、また聴いていて面白いのも、そういう部分だ。
 日本の凡百の映画評が感性でかたづけているところを、彼らは驚くほど「理詰めで」選択し決定していることがわかる。先達の作品からの構図や技術の引用にも自覚的で、また開示的というか、実に得意げに嬉しそうに喋る。引用を明らかにして「自分が学んだテクニックの遺産を後進に伝えたい」というレクチャー精神も旺盛なように思える。
 『マンガ家入門』がいまだ名著たり得ているのは、作画技術だけではなく、演出法もまたテクニカルに解析し、解説したからに他ならない。」

2014年4月23日(水)  とり・みき(日経ビジネスオンライン)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20140422/263338/?n_cid=nbpnbo_mlt&rt=nocnt