メモ/感情と理論と

「知人と憲法の話になり、僕が・・・現憲法を擁護していると、面倒くさそうに説明を遮られ、『でもまあ色々あるんだろうけど、(憲法を変えないと戦争できないから)舐められるじゃん』と言われたのはつい先月のことだった。『舐めらえるじゃん』。説明より、シンプルな感情が先に出てしまう空気。・・・論が感情にかき消されていく。」中村文則「総選挙 日本の岐路」(朝日新聞2017年10月6日)

「そもそも政党や政治家は自己利益のためでなく、公的利益の実現のために存在しているという建前を掲げておかなければまずい。」杉田敦衆院選 どう向き合う(長谷部恭男氏との対談)」(朝日新聞2017年10月2日)

 建前が本当に枯れ果てたタテマエならば、吹き飛ばしてしまえばよい。それにしたって、感情の嵐によるだけでは・・・
 今回の解散にあたって、Mさんの開き直りのようなFBのコメントに、最初は、なぜそうまで時の首相に従順なのかと思ったが、これが民進党だったらと考えていくうちに、単なるひいきの引き倒しなんだと気づいた。(あるいは、そう考えた。)自分が応援する首相が政党が政策がチームが勝つのならば、少々のことはマリーシアなのだ。そう「論というよりは感情によって支える人達」(中村文則 前出)なのだ。

「政権与党を支持しない人々が「議会制民主主義の常識」だとか、「解散の大義」だとかいったカビの生えた原理原則を持ち出してアヒャアヒャ踊り狂っているのは、要するに解散権を持っていない一派がくやしまぎれに理想論を振り回している姿に過ぎないわけで、リアルな政治は、そういうものではないよ、というのが、彼らの本心であるわけだ。」「リアルな場所で生きている者にとって、理想を押し付ける人間ほど腹の立つものはない。それはとてもよくわかる。ただ、どの場面でリアリズムを発揮し、どの場面で理想を重んじるべきなのかについては、人それぞれで、考え方が違っている。」小田嶋隆の「ア・ピース・オブ・警句」 (2017年9月22日)

んー、でも、マリーシア賞賛もやっぱり後付けの理屈で、要はひいきチームを応援しているだけのような。まあ、その贔屓チームが本当に「リアル」なのかは大いに疑問があるにもかかわらず、「リアル」だという思われていることこそが大いに問題だけど。政治手法は「リアル」なのかもしれないが。